気まぐれ日記 06年6月

06年5月はここ

6月2日(金)「江戸っ子は宵越しの銭は・・・の風さん」
 最終原稿をフロッピー付きで送付してから1週間が経過した。次の仕事がたくさん待ち構えているのに、連日、会社の仕事に追われている。綱渡りのような生活だ。今日は東京出張で、色々と忙しい。
 午前中に某社を訪問し、重要な打ち合わせをした。ほぼ目的を達成することができ、昼食時も同僚らと充実した議論ができた。午後から、東京ビッグサイトへ行き、同僚と展示会を見学した。エレクトロニクス技術のめざましい進歩に、油断はできないと気を引き締めなければならなかった。同じ頃、他の同僚らは別の会社へ出張していて、そこでも気の抜けない会議が行われていた。
 銀座の定宿にチェックインし、しばらくベッドに横になった。持参している文庫『アイルランド幻想』の続きを読んだ。よく知られていないアイルランドが舞台というのがとても新鮮だし、物語としても面白い。一種のホラー小説だが、甲斐萬里江さんの訳が読みやすく、短編作法としてもとても勉強になる。
 午後8時に、会社の仕事で知り合った人と久しぶりに会って、「貴族」へ案内した。この間入れたばかりの僕のボトルがなぜかほとんど空で、また新しいシーバスリーガルを入れることになってしまった。一気に財布が軽くなった。「江戸っ子は宵越しの銭はもたねえんだよ」とうそぶいて振り返ると、背後には誰もいなくなっていた。
 え? 風さんは江戸っ子だったのかって? いちおう本籍は東京です、はい。

6月3日(土)「代々木八幡の茅の輪・・・の風さん」
 知人が経営している書籍企画・編集・出版の「亀書房」を訪ねた。かねてから、和算家の解説書を書きたいと考えていて、その相談をしている。とりあえず長編の出版が近いので、そろそろこちらも具体的な相談をしなければならなかった。
 鳴海風の原点である平山諦著『和算の歴史』を持参して、「長く残るこんな本を、作家の視点で書きたいのです」と訴えた。全体構成について打ち合わせることができたので、できるだけ早く第1稿を提出することを宣言した。
 昼食後、自費出版のお手伝いをして差し上げているMさんと合流し、代々木八幡に伊東昌輝先生を訪ねた。
 本殿に進むと、何やら祭礼の準備の真っ最中である。神社の職員に質問すると「茅の輪(ちのわ)を作っているのです」と言われて驚いた。提出したばかりの長編の原稿に、鳥越明神の茅の輪くぐりのことを書いていたからだ。茅の輪は、チガヤを束ねて輪の形にし、これをくぐって身を祓い清めるのである。六月の風物であり、18年間も通っていながら、代々木八幡の茅の輪を知らなかった。茅の輪は直径2メートルはありそうな、大きなものである。
 そのバチが当たったのか、伊東先生との交渉は不調で、むなしく家路につくことになってしまった。
 帰宅したら、長編のゲラが届いていた。

6月5日(月)「天網恢恢?・・・の風さん」
 昨夜からゲラの修正に着手している。来週明けには返却しなければならない。
 今日は、出社してから恐るべき速度で仕事をこなし(だからと言って、まともな仕事をしているとは言えないが)、昼前にいったん帰宅。それから電車で出張に出発した。また、東京である。
 先週末の上京と同じ読みかけの本をカバンに忍び込ませ、往復の車中で読むつもりだ。
 仕事のし過ぎで、かなり疲れているが、読書は仕事のうちなので(前者の仕事と後者の仕事は意味するものが違う)、力いっぱい目を開けて読書しようと・・・、駄目だ。実は、頭痛で薬を飲んで出てきたのだ。新幹線の中でうつらうつらしてしまう。
 夕方、会社の上司や同僚と合流して、某社を訪問した。
 受付に向かうと・・・やや! 知った顔が・・・。私が新入社員の頃、同じ職場で退社して会社を設立した人がいた。優秀な人の中には、会社でこつこつ出世するより、一気に頂点に登ってしまう人もいるのだ。当時、この人の真似をする同窓生が続々といた。優秀な大学を出ているのだ。先年、また同じ職場からデューダした人がいた。その人も能力をもてあましていて、私が新入社員の頃に退社した人が設立した会社に入ったのである。こうして私は、多くの同僚に退社で先を越されている。
 その二人とばったり会ってしまったのである。
 世の中は広いようで狭いと言うか、天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさずと言うか(おっと意味が違うか)とにかくすごい偶然だった。
 もちろんお互い目的は違っていたので、「何しにここへ?」などという愚かな質問はせずに別れた。
 出張の目的は果たすことができた。

6月6日(火)「オヤジ化したシルバーの巻」
 昨夜は、東京から帰宅したら、玄関にシルバーのおしっこが広がっていて臭かった。そのすぐそばにシルバーがうずくまっていたので、自分が犯人であることを自供しているようなものだった。
「おい、お前、そこまでボケたのか?」
 哀れをさそう姿だった。
 出張から帰宅したばかりで疲れていたが、私がトイレットペーパーで拭き取り、ワイフが仕上げに水洗いした。
 その翌日である、今日はどうだったかと言うと、・・・! また、おかしなことをやってくれたぜ。
 シルバーは初老のオス猫だ。ボケているだけでなく、オヤジ化もしている。メスの三毛猫が後からやってきて、よけいに変になった。夜中にパンストをくわえて鳴きながら徘徊するのだ。最近は、夜中だけでなく、どんな時間でも突然この奇妙な行動が始まる。
 シルバーがよく寝ているソファの上に、パンストがなんと4つものっていた! ワイフと長女のパンストである。
 私もあと数年してもっとボケると、シモの方が怪しくなり、さらに誰かの下着をくわえて変な声で泣き出すのではないだろうか? おお! おぞましい。死んだ方がマシだ。
 しかし、ボケていたら、そんなことも分からないのだろうなあ。

6月7日(水)「ローンの話・・・の風さん」
 我が家の北隣の土地を購入する話は既にした。今度は、その購入資金のローンの話である。
 うちは某銀行の口座をいくつか持っているし、さまざまな場面でその銀行を利用している。さきごろ、利益が1兆円以上も出て、儲け過ぎではないかと話題になった銀行だ。
 その銀行から借りることを考えると、私自身の信用調査はいとも簡単にできるだろうと私は考えた。なぜなら、その銀行にからむ私のデータがわんさとあるからだ。たとえば、マイホームのローンはその銀行だ。会社の給与もそこへ振り込まれている。・・・。
 一方、比較のためにJAにも相談してみた。いちおう預金口座はもっている。
 どちらもローンを組んでみたときの返済額を比較してみると、金額的にはたいした差ではないことが判明した。差がつくとしたら、サービスの面だろう、と考えた。
 ところが、意外なところで大きな差がついた。
 信用調査に基づく手続きが、某銀行でない方がはるかに簡単だったのだ。
 だいたい借りる金額は、土地の公的な評価額を下回っているにもかかわらず、某銀行は、自宅の方まで抵当に入れろと言ってきただけでなく、この超多忙な私自身に手続きに来い、と言うのである。JAにはそんなわずらわしいことは一切なく、すべてがソフトでスムーズに進むのである。
 したがって、借りる先は、悩むことなく某銀行でない方に決定!

6月8日(木)雨のち曇りか晴れか・・・の風さん」
 他人から指摘されるまで、今日が木曜日だということに気が付かなかった。一週間が恐るべき速度で過ぎ去ろうとしている。やばい!
 今日も会社では怒涛の時間を過ごさせてもらったが、今日は特にひどいことがあった。
 どうしても来週中に大きな会議を設定せねばならず、出席者の都合を優先して日程を考えると、なんと、15日になってしまったのである。毎年6月15日は、目黒の高福院に長谷川伸先生の墓参をした後、二本榎の旧長谷川伸邸に移動して、そこで勉強会を開催している。これは、直接長谷川伸先生の謦咳に接したことのない会員が増えてきてしまったことから(かく言う私もそうだが)、私が提案して定着した新鷹会の年中行事なのである。しかも、今年は、私は五大路子さんを案内しようと計画していた。それが、実現できなくなるかもしれないのである。大大大問題である。
 とにかく知恵を絞らねば・・・。
 帰宅したら、長女と長男が病気で学校を休んだそうで、医者の診断結果は溶連菌(溶血性連鎖球菌の略称)。初めて聞く病気だ。感染するらしいので、気をつけねば・・・じゃなかった、子供たちが早く良くなって欲しい(あやうく親としての自覚を失うところだった)。
 テーブルの上に、新鷹会アンソロジーの発行の連絡が光文社から届いていた。光文社文庫でタイトルは、『武士道春秋』(724円税別)である。私の短編が1本収録されているが、他の作家の作品を読む目的で購入してもらいたい。
 さらに、某雑誌からのエッセイの原稿依頼も届いていた。初めての雑誌で、どうして私を選択したのか不明だが、ありがたくお受けすることにする。
 会社では腹が立ってしようがなかったが、帰宅して自分が小説家だったことを思い出して少し気分が晴れた。
 
6月11日(日)「どこまで行っても多忙・・・の風さん」
 昨夜からまた雨が降り出した。月曜日の午前中に初稿ゲラの校正したものを返却しなければならず、サンルームで焦りまくっていた。
 読み直していると、出来の悪さで目の前が真っ暗になり、どうしても手を入れたくなる。その結果、あとで原稿データを修正する必要まで生じて、また時間がかかるのである。それでも何とか、今日の正午までにコンビニからゆうパックで発送することができた。ホッとしてビールを買って帰ったが飲む余裕はなかった。
 膨大な仕事がたまっているのだ。
 とりあえず、手紙を3通とハガキを1通、ファックスを2通送った。電話を2本かけて、電子メールをいくつか送信した。それだけでもう疲れてしまったし、夜もだいぶ遅くなってしまった。会社の仕事もあるのだが、とてもやっていられない。なぜこんなに忙しいのだろう?
 結局、次の仕事の準備に全く着手できない。

6月14日(水)「因果応報・・・の風さん」
 今朝、目が覚めて、うつらうつらしているときに、突然足がつった〜。痛ぇー! こういうときの痛いこと痛いこと。
 このとこ連日会社からの帰宅が深夜に及んでいて、疲れているし、寝不足でもある。足ぐらいつってもおかしくない。
 今夜も遅い夕食を摂っていたら、背後でかさこそと怪しげな音がしていた。サンルームである。
 気になってサンルームを点検に行ったら、ミニ食器戸棚の裏に、我が家の二匹目の猫チーズ・カマ・ペコがいた。何か発見したらしい。
 早速ワイフに、「ペコがまたムカデを見つけたぞ〜」と恐ろしげな報告をしてやったら、ものすごい速度でやってきた。
 「どれどれ?」
 私はのんびり夕食の続きをしていたのだが、突然、絹を裂くような悲鳴・・・という表現は、小説家は小説で使ってはいけない……が聞こえていた。
 ムカデだった。本当にムカデだった。
 ワイフがゴキジェットを取りに行ったので、
 「やめろ。ぼくが捕まえて逃がす」
 と制止したにもかかわらず、ワイフはゴキジェット攻撃をしかけた。
 やや遅れて私は厚紙を持って到着し、弱ったムカデをその上に乗せて外へ逃がした……が、まもなくお陀仏かもしれない。
 サンルームの外は真っ暗だったが、ワイフがトールペインティング教室をやっているログキャビンが、薄明かりの中にぼんやりと浮かんでいた。その壁に、この間の日曜日、カエルのぴょん吉を見つけたのだった。

 近所に池も沼も川もないのに、暖かくなると現れるぴょん吉だ。写真のように、ログキャビンの壁にへばりつくようにうずくまっている。可愛いやつだ。これから蚊などの害虫をたらふく捕って食べてくれるだろう。
 ムカデを逃がした私がサンルームに戻ると、ワイフが呟いた。
 「あなたは地獄へ落ちても、助けた虫の数だけ脱出する機会を与えられるわ」
 「お前は?」
 「あたしは明日にもバチが当たるでしょうね」
 明朝、足がつるのは、今度はワイフに決まった!!

6月15日(木)「大女優の台詞にメロメロ・・・の風さん」
 通勤途中でケータイが振動した。道路脇にミッシェルを停めて確認すると五大路子さんからだった。
 こちらからかけてみると、発熱のため墓参や長谷川伸邸の見学に行けないという。
 「残念ですね。お大事にしてください」
 と伝えると、
 「大勢より鳴海さんと二人の方がいいわ」
 大女優の台詞(せりふ)に、風さんはメロメロになったのであった。
 とにかく出社したら、仲間に電話しなければ、とミッシェルを再スタートさせた。
 ところが、着いて早々、全く時間的な余裕がなく、やっとトイレ休憩に立ったところで、あちこちへ電話してみたが、既に自宅を出ている人が多く、十分な事前連絡はできなかった。
 午後は、ISO140001の継続審査を受けて冷や汗を流した。危うく軽微な不適合を詩的指摘されるところだった。
 昨日の夕方は、なかなか解決しない担当テーマの関連で社長報告をして冷や汗を流したから、二日連続である。
 明日は、迷惑をかけている顧客が来社するので、逃げていたら冷や汗を流すに決まっている。職場の長として攻めの方針を打ち出して、今日は早目に帰宅した。
 久しぶりに8時頃に帰宅できた。夕食を摂ったら、猛烈に眠くなってきたので、とりあえず仮眠をとることにした。
 仮眠中に右足がつった! ワイフに当たるべきバチが私に当たった(痛)。
 目覚めたら午前1時である。
 それから入浴して、午前3時半頃、読書しながら再びベッドへ入った。
 これまた久しぶりに読む『アイルランド幻想』である。書き出しが面白くて、忘れないうちにメモろうと思ったが、筆記道具がなかったので、栞をはさんで寝ることにした・・・が、朝まで熟睡できなかった。

6月16日(金)「ゴキ第1号・・・の風さん」
 今朝は通常より少し早く出社した。非常に迷惑をかけている顧客の来社対応のためである。
 その顧客が帰ったのが9時前で、やはり3日連続の冷や汗となった。
 その後、10時まで会議をやって、来週の月曜日の作戦を立てた。
 帰宅し、夕食を摂りながらの夫婦の会話。
 「あなたのCD、やはり私の部屋にもなかったわよ」
 「そうかあ、じゃあ、やっぱりミニコンポを修理に出すときに、CDプレイヤーに入れたまま出したのかもしれないな」
 「きっとそうよ。修理屋へ電話してみたら?」
 「わかった。明日、そうするよ。しかし、ぼくもボケたものだ(涙)」
 そのとき、次女の部屋から叫び声がした。
 「きゃあ〜! ゴキブリが出たあ!」
 早くも今年第1号である(まるでホームランだな)。早速ゴキジェットを持ったワイフと猫のペコが現場へ急行。
 ボケ風さんは落ち込んだまま、ソファに座って、ゴキブリ駆除の様子を気配で探っていた。
 「そっち、そっち、そっちだってば!」
 「布団の中へ入ったみたいだよ」
 「ペコが追い出した! お母さん、やっつけてよ」
 ふとミニコンポを眺めたら、その上のカセットデッキ、さらにその上のCDレコーダーが目に入った。
 (???)
 CDレコーダーは文字通り、CDへ音楽を書き込むための機器である。
 しかし、これは再生機能もある。もしや。
 近付いて、イジェクトボタンを押してみたら、……おお!!!
 CDがない、ないと騒いでいたときには、CDレコーダーの中に市販の音楽CDなんか入っているわけがないと勝手に思っていたのだ。
 やはりボケ風さんである。
 ワイフが退治したゴキをティッシュに乗せて次女の部屋から出てきた。
 「おい。ゴキのお陰で、CDが見つかったよ」
 「???」

6月17日(土)「さあ、週末はやるぞ・・・の風さん」
 この週末は小説家としての仕事を精一杯こなそうと思った。
 今日は、先ず、新鷹会の仕事で「大衆文芸」の執筆依頼の確認をした。続いて、来週の長谷川伸の会での司会の原稿の作成。さらに、来週の土曜日の名古屋での講演の準備を少しした。
 和算関係の本の出版を計画しているので、そのための準備をしているうちに夜が更けてきた。
 今夜は、ワイフや子供たちの駅への送り迎えのために、ミッシェルで4往復もしてしまった。

6月18日(日)「父の日だって・・・の風さん」
 久しぶりに長女の運転練習に付き合った。
 これまでは夜だったが、初めて明るい昼間の運転である。団地内を30分ほどぐるぐる回ってから、シャバへ出ることにした。
 住居地は観光地なので、休日は渋滞することが多い。しかし、天気が悪いせいか、道路は空いていた。パスタ料理の美味い店まで行き、そこでランチを食べた。たいした距離ではなかったが、長女はそれでも緊張したらしく、「疲れた」を連発していた。
 父娘でカップルランチを取った。やはりパスタが美味かった。今日は父の日とのことで、長女におごってもらった。子供におごってもらったりすると、つくづく自分も歳をとったものだと実感する。こんな歳で、まだ人生チャレンジなどとほざいているのだが、いいのだろうか。
 帰宅したら、長女以上に私が疲れていて、2時間ほど昼寝しなければならなかった(笑)。
 来週の講演のスライドを完成させるのに、随分と手間取った。しかし、とにかく完成。配布資料も作成した。
 夜は、来月出版予定の本の再校ゲラに手を入れた。編集者がしっかり見てくれていて、作者として恥ずかしいほどだった。

6月20日(火)「来月末の秋田での講演がまた楽しみ・・・の風さん」
 ここのところ会社の仕事であっぷあっぷ状態である。何とか日常から非日常へ飛び出さないと、小説家としての自覚を失ってしまう。なるべく早く帰宅して再校ゲラの修正をやらなければならないのだ。
 朝から引きずっているトラブル会議を何とか振り切って、午後2時半ころ製作所を出て本社へ向かった。
 今日は、来月末の講演の下打ち合わせのために、はるばる秋田から来客があるのだ。
 職場の上司にも出席していただいて、簡単に打ち合わせを終えてから、お客様をギャラリー(製品展示室)へ案内した。従業員といえど、なかなか見学している余裕はないので、しっかり見てやろうと思っていたが、閉室まで30分ほどしかなかった。それで、残念ながら、私自身としてもじっくり見学することはできなかった。しかし、何度かここを見学したことのある付き添いの人は、あとで、私の解説がユニークでとても面白かった、と言ってくれた。だてに26年間も勤務してはいないから。
 秋田は私の心のふるさとでもある。来月末の講演は、会社員としての仕事なのだが、残った時間で、母校の秋田高校を訪問して、少し話をすることになりそうである。先日、拙著をすべて、母校の図書室に寄贈していたから、その返礼という意味もあるのだろう。来月末となると、3年ぶりの新刊が出来ているはずなので、また寄贈できる。うれしいことだ。
 普段より早く帰宅することができたので、再校ゲラの校正に力一杯取り組んだ。

6月23日(金)「超多忙の上京を終えて帰宅してみれば・・・の風さん」
 再校ゲラの校正は水曜日に終わり、昨夜は原稿データの修正をした。また、明日の講演の準備もした。それで、また就寝が遅くなり、今朝はフラフラの状態で家を出た。あれこれと仕事のために上京するのである。
 「時は金なり」が信条の私は、最寄の駅から特急に乗車した。しかし、疲れていて、うつらうつらしていた。
 名古屋で「のぞみ」に乗り換えたときには、いくらか元気も戻っていたので、車中で短編を1本読めた。短編のテクニックをひとつ学ぶことができた。収穫。
 品川で降りて山手線で新橋へ向かい、会社の同僚と合流して今日最初の目的地へ向かった。
 10時半から12時半までかなり厳しいビジネスミーティングをおこなった。先方とはかなり親密な関係なのだが、会社としてのけじめを明確にする必要があった。しかし、このビジネスの展開はスリリングで楽しみである。
 会議を終えてから、同僚と別れた。元々、今日は有休をとっても上京しなければならない日だった。
 出版社へ電話して、打ち合わせを開始できそうな時刻を伝えた。
 持参した再校ゲラに基づいて、約2時間、みっちりと打ち合わせができた。帯のキャッチコピーまで相談した。ここまでで私の役目はほぼ終わりとのことで、新刊が店頭に並ぶのは、来月の20日から25日頃だろう、とのことである。
 夕方、新鷹会の親しい仲間と合流して、コーヒーを飲みながら情報交換してから、四谷の弘済会館を目指した。
 今日は、第43回長谷川伸の会である。第43回とは、長谷川伸先生没後43年と考えてよい。よくぞここまで続いていると驚く。その第一部は第41回長谷川伸賞、第36回池内祥三文学奨励賞授賞式で、私は今年で5年連続の司会役を務めている。今年の長谷川伸賞は、元講談社の編集長だった大村彦次郎さんだった。祝辞の述べるために作家の永井路子先生と大ファンの伊藤桂一先生が来られていたのが、私の最大の楽しみだった。
 第二部の懇親パーティの中で、永井路子先生や伊藤桂一先生とのツーショットを撮影してもらえて幸せだった。
 明日の講演があるので、途中で失礼して四谷の弘済会館を後にした。
 帰りの「のぞみ」で爆睡状態だった。
 帰宅して、今日の出来事をせっせと(自慢げに)ワイフに報告した。
 ワイフからの今日の出来事の報告。
 「テレビで作家の石田衣良を初めて見てファンになっちゃった〜」
 「ふーん」
 「それで、早速石田衣良の新刊を買っちゃったー!」
 「にゃにぃ〜?」

6月24日(土)「講演、お疲れ様・・・の風さん」
 北隣の土地を購入するために、JAからローンを借りることにしていて、その関係の契約書に署名に出かけた。本来は休日だったが、わざわざ職員が多忙な私のために出社してくれたのである。
 その仕事を終えてからいったん帰宅して、今度は電車で名古屋へ向かうため再び家を出た。
 今日は、午後から名古屋のNHK文化センターで講演をすることになっていた。そのため、荷物が多く、私は、40kgはあろうかというキャリー付きバッグを引きながら出発した。
 出がけのワイフの言葉は、切り火を打つのたとえとは正反対のものだった。
 「笠地蔵にならないように!」
 これは、こういう意味である。私が引きずる40kgものキャリーバッグの中身は、今日の講演の後に売ろうとたくらんでいる著書である。
 童話の「笠地蔵」では、売れ残った笠をお爺さんが雪が降り積もったお地蔵さんの頭に乗せていく話で、最後のお地蔵さんのところで売れ残っていた笠もなくなってしまったので、お爺さんは自分がかぶっていた笠まで脱いでお地蔵さんにかぶせてやる。
 つまり、わたしの思惑に反して本は売れず、売れ残った本をどんどん他人にただで上げてしまうか、そのまま持ち帰ることになるだろう、と予想したのである!
 実に冴えている!
 かつて似た経験をしている私は、性懲りもなくまた挑戦しようとしていた。
 今日の講演には、有料ながら、知人ら11人にも特別聴講してもらう。そのお礼の気持ちもあって、彼らには文庫本を1冊ずつプレゼントしようと、その分もバッグに忍び込ませていたので、重量がハンパでなくなっていたのだ。
 講演タイトルは、得意の持ちネタの一つ「円周率と忠臣蔵」である。
 例によって画像をふんだんに使ったスライドで、あっちこっちへ脱線しながら90分しゃべり通した。途中で何度も何度も本が売れるようにお願いしまくったので、講演後、16冊も売れた。正直言ってホッとした。
 その後、テレビ塔の下にできたお洒落な店で、名大の先生二人とビールを飲みながら歓談した。
 今年の下期も講座は継続するそうで、もしかするとまた私にも協力要請があるかもしれないと言われた。また、それとは別に名大での講演話もまだ検討中らしく、これも実現するかもしれない。「できれば、ぜひやらせてください」とお願いしておいた。
 いやー、商売繁盛だわー。
 帰宅したら、疲労でぶっ倒れた。
 
6月25日(日)「M.i.Vは面白い!・・・の風さん」
 懸案の長編小説の仕事が一段落したので、本当は次に控える仕事にまた全力を傾けなければならない。ところが、そうは簡単に問屋が卸さない……じゃなくって、ワイフが許してくれない。昨年購入したワイフのクルマの12ヶ月点検の時期が過ぎているのと、リコール通知が来てしまったのだ。購入したディーラーが近くにないので、どうしても一日仕事になってしまう。二人とも多忙である。それで、止むを得ず、今日、予約してあった。そうとなれば、待ち時間を有効に使ってしまえ、ということになった。つまり、遊んでしまった。
 多忙な親の真似をしているわけでもないだろうが、私たち夫婦が出かけるとき、3人の子供は家にいなかった。
 有料道路を突っ走って目的地へたどり着き、クルマを預けると同時に代車を借りた。それで、ショッピングモールに買い物に行き、それから昼前に会社の施設へランチを食べに行ったら、昔の部下が家族で来ていた。9月からメキシコ赴任が決まり、これから奥さんの赴任教育があるのだという。おそらく4から6年ぐらいの長期出向になるだろう。大変なことだが、部下がかなり力をつけているのを感じることができて、感動を覚えた。
 まだまだ時間があるので、映画を観に行った。あいにく狙っていた「ダヴィンチコード」は上映時間が合わず、「ミッションインポッシブルV」に変更した。トム・クルーズは前回、超駄作の「宇宙戦争」でガッカリしていたので、期待せずに観出したのだが、息つく間もないアクションの連続で、おまけに夫婦愛で全編が貫かれていて、どうしてどうして、立派な作品だった。収穫。
 さらに買い物をしてからクルマを受け取って帰宅した。
 今日も非常に疲れた。

6月26日(月)「梅雨らしい梅雨・・・の風さん」
 今年の梅雨は「降るときは降る」とハッキリしていて気持ちいい。今日も朝からけっこう激しく降っていた。
 気まぐれ日記には、なるべく会社のことは書かないことにしていたのに、このところ書き過ぎた。だから、今日は書かない。
 週明けの月曜日にもかかわらず、帰宅が10時近くなってしまった。これで、どんな1日だったか想像してほしい。
 帰宅してすぐ食卓についたら、汚い虫カゴが乗っていた。覗いてみると、キュウリのかけらが入っていて、黒い虫が・・・!
 「コクワガタだ!!」
 「雨が降っていたので家の中で干していた洗濯物の中にいたの」
 とワイフ。見た瞬間、ゴキだと思ったらしい。
 ここへ越して来たばかりの今頃、道端で拾ったコクワガタは実に3年間も生存した。名前をクワガタマスミとつけていた。
 「飼うの? 逃がすの? どっち?」
 「もちろん飼う!」
 私はまた3年間の飼育に挑むことにした(忙しいのに・・・)。
 話は変わって、今年になってから、このホームページを訪れる人が増えている。アクセスカウンターは年間で1万件がやっとだったのに、今年は1ヶ月で1000件を超える。あちこちに鳴海風の名前が出てくるので、しばらく好調が続くかもしれない。

6月27日(火)「お疲れ・・・の風さん」
 ワイフが虫かごとクワガタ・ゼリー、クワガタ・マット、止まり木などを買ってきてくれたので、突如屋敷内に現れたコクワガタの居場所が確定した。こうなると名前をつけなければならない。妙案は浮かばなかったが、いつまでも名無しでは可哀そうなので、クワタンと命名した。理由は特になし。
 クワタンを眺めて遊んでいるうちに早11時を過ぎた。そもそも今日も帰宅が遅かったのだ。このまま書斎で仕事に入ると、また今夜も読書ができないまま寝てしまうことになるので、先に少し読書しようとサンルームに入った。・・・が、数ページも読み進まないうちに、眠り込んでしまった。
 午前2時にワイフに一度は起こされたが、またダウン。次に起きた時間は覚えていない。風呂に入ってから、しぶとく書斎に入って雑用をこなした。来週は会社の仕事で社外で講演がある。来月末には秋田で講演を2件こなさなければならない。その準備があるのだ。・・・と思っているうちに、8月の講演3件のうちの2件の準備も始まってしまった。こういった講演をこなしながら、一方で、次の出版のための執筆も着実に進めなければならないのだ。・・・無理かも。
 雑用を適当に切り上げて寝室に行くと、既にワイフは起床していてベッドはもぬけの殻だった。
 ベッドに横になって、再び読書を始めた。そもそも最初にやろうとしていたことだ。何とか短編を読み終えた頃、外はすっかり明るくなっていた。それでも、30分ぐらいうつらうつらしてから起床した。

6月29日(木)「有休とっても執筆がはかどらない・・・の風さん」
 もうどうにも執筆がピンチなので、昨日決意して今日は有休にした。私が並みの人間であることの証明である。
 ついでに昨日は帰途買い物もしてきた。
 今日は頑張らなければならないので、睡眠をたっぷりとって10時頃に起床した。
 雑用に手をつけると際限がなくなるので、すぐに執筆に着手。「大衆文芸」8月号用の原稿である。ただし、これは『和算と日本の歴史』にも流用できるし、来月出版される『ラランデの星』の宣伝にもなるものだ。つまり一石三鳥を狙った欲張り原稿である。一人ほくそ笑みながら書き始めたが、例によってスローペースになってしまった。頭の中にあることだけで書けない困った性格が出るのだ。
 昼食をはさんで再び執筆再開したが、今度は右肩の後ろが痛くなってきた。頚椎症の合併症みたいなものだ。気になって執筆どころでなくなる。腕を回したり、腕立て伏せをやってみたりしたが、効果なし。
 チクショーとわめきながら、階段を駆け降りて、ロキソニンを服用した。
 これで大丈夫だぞ、とひと安心している間もなく、本当に薬が効いてきた・・・直後、ダウン・・・zzz。
 目覚めたらもう6時過ぎである。やべぇー!
 結局、深夜までかかって、とりあえず「大衆文芸」用に6枚だけ書き上げた。
 すっげえ、効率の悪い1日だった。これで有休かよ?

6月30日(金)「クワタン登場・・・?の風さん」
 2ヶ月ぶりに歯科医へ行き、歯磨きチェック。前回と同様の結果で、また2ヵ月後となった。毎晩しっかり電動ブラシで磨き、その後、歯間ブラシと糸楊枝を駆使して、朝は手磨き、昼はキシリトールガムでごまかしているが、その結果がこれである。ま、いっかー。
 帰宅して、夕食後、クワタンの写真を撮った。明るいところへ出すとすぐに止まり木の下に隠れてしまうので、虫かごから出して無理やり撮影した。迷惑そうな顔をしていた。
 ケータイから送った写真を受信してみたら、ボケボケだった。接写はだめだな、やっぱり。
 とうとう今年も半分が終わってしまった。残り半分、どれだけの成果を上げられるか、それが問題だ。

06年7月はここ

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